2006-01-01から1年間の記事一覧

この一年

今年は息子sandの誕生にはじまり、娘lotusが幼稚園に通いはじめ、研究では新しい組織での仕事がスタートし、競争的研究資金も獲得でき、果てはこれまでにない大怪我を負うなど、波乱に満ちた一年であった。何しろこの体がこうして今もここにあること、愛する…

念仏によってなぜ救われるか

以前の記事へのコメントでいただいた問題。僕もよくこれを考えたが、理屈をこねるほど実践は失せていった。理屈は信仰を外から眺めるものであり、中に入って実践するのとは大きく異なる。以下は昔こねた理屈の一例。 本当は苦はない。死もない。この肉と心ば…

仕事納め

今日も研究室に顔を出した。事故で傷めたところがちょっと痛むので無理は禁物。仕事場でもお念仏できる場面はあるようだ。念仏できないのは雰囲気に飲まれるせい、言い換えれば仕事場で念仏する習慣がなかったせいであろう。新しい習慣を作るのは難しいので…

リハビリ

リハビリ、というほどでもないが、徐々に仕事復帰がはじまった。一ヶ月かけてもとの仕事量にもどすようにとの指導。約二ヶ月の休養で体力が落ち、いつも通っていた道が歩けず、筋肉痛と戦うことに。それに、家にいると家事なり育児なりで忙しいけれど、心は…

滅罪は心の浄化?

善導大師の明五種増上縁義には、お念仏の現世利益として「護念」のほかに、「滅罪」「見仏」が示されている。「滅罪」にも、心の浄化作用についてのヒントがないだろうか? 三部経の中で滅罪が説かれるのは、主に観無量寿経である。心を静めて浄土の光景や菩…

護念による浄化作用

お念仏の浄化作用によって、僕は仏菩薩や聖人君子のようになれるのだろうか? 心の浄化というのは現世での利益である。手はじめに選択集を見ると、現世利益については、観音・勢至の護念に触れられており(第十一章)、上の問いについての手がかりとできる。…

ふたりの阿弥陀様?

お念仏することで自分に変化がおこるか、が僕のテーマである。変化がおこるというヒントはたくさんある。それは、阿弥陀様の光明による煩悩の消滅であり、換言すれば滅罪増上縁・護念増上縁による現世利益だ。このように、お念仏する人には、心が浄化される…

どう生きる(7)回向発願心

ひとりの凡夫として、命をかけて家族を愛し、仕事に打ち込む。愛せば愛すほど、打ち込めば打ち込むほど、凡夫の性がつけいる隙も増える。悩む機会も多くなる。しかしそれが浄土を願うこころを増大させ、僕をますますお念仏に向かわせる(往相)。 一日三万遍…

どう生きる(6)所帰・所求・去行

阿弥陀様は、僕をこの世で仏にしようというのではない。この世を極楽にしろというのではない。そんなことは祈らない。僕に凡夫の性があるから、道を踏みはずさないように、ぶじに念仏をつづけて往生できるようにと、護ってくださるのだ。 そのおかげで、凡夫…

どう生きる(5)「光明歎徳章」からのヒント

阿弥陀様の光明は偉大である。無量光仏はじめ、「光」のつく十二の名でたたえられている。この光に会うと、貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩が滅して、身心とも柔軟になり、踊りだしたいほどの喜びがおこって、善の心が生まれる。苦しみがやんで、悩みは消え、臨終の…

どう生きる(4)「摂取不捨」からのヒント

阿弥陀様の光明は広く照らすけれども、とくに念仏する人には別の光が照らして、摂取し、お捨てにならない。この光とは、阿弥陀様との三つの関係(親縁・近縁・増上縁)だ。親縁とは、阿弥陀様を礼し見守られる、思い思われの、名を呼び聞いてもらう関係。近…

どう生きる(3)「浄土宗略抄」からのヒント

念仏する者は、阿弥陀様は言うまでもなく、六方恒沙の諸仏、観音・勢至・諸菩薩、諸天諸神によって、影のごとくに付き添われ、護られる。その護りによって、心の中の悪鬼悪神は影をひそめる。 病などの不幸に見舞われても、それによって深刻に悩むことはない…

どう生きる(2)「二河白道」からのヒント

大慈悲の阿弥陀様の在ることをみずから納得すれば、その大慈悲にやすらぎを感じざるをえず、その与えて下さろうとするものを期待せざるを得ない。これが清浄願往生心である。白き道にたとえられる。 人は愛欲におぼれやすい生き物であり、激情に焦がされやす…

どう生きる(1)僕の問題意識

僕には、家族への愛がある。これは無明からくる盲目的な愛なのか。少しでも菩薩の慈悲のような愛が混じっているのか。自分では後者だと思っていても、実際には判断できない。 仕事にはやりがいを感じる。これは名誉や自尊など自己の欲望、生の快楽を享受した…

心の中をときほぐしてみた

死を覚悟したとき、阿弥陀様がいた。前から知っている、僕を包み込むような阿弥陀様。だが、決してそれだけではなかった。 僕が死んでしまったら、残された家族は嘆き悲しむだろう。父の死を理解すらできない赤子もいる。笑顔に満ちたあの生活はもどらない。…

交通事故

先々週のことですが、通勤中に交通事故にあいました。歩道を歩いていたところ、不注意運転の自動車が進入し、後方から衝突されたのです。意識はずっとありましたが、重傷を負って、しばらく入院していました。まだ完治はしていませんが、ブログを書けるくら…

たのしかったうんどうかい

昨日はlotusの運動会だった。普段は家にいるlotusしか見ていないので、幼稚園でお友達の中にいるlotusを見たいと、常々思っていた。 朝、ママはお弁当の用意があるのでsandと一緒にあとから来ることに。バス停に着くと、lotusと同じ赤白帽に私服のお子さんを…

「功徳はなぜ廻向できるの?」藤本晃(国書刊行会)

某掲示板の紹介を読んで、購入しました。 何か善いことをしたら、その人の心の中には良いものが生まれます。それが功徳です。心の中のものですから、Aさんの功徳をBさんに贈ることはできません。そして功徳はその人によい結果をもたらします。逆に悪いこと…

『「さとり」と「廻向」 大乗仏教の成立』梶山雄一

小泉八雲の「かけひき」という小説の一場面。失敗を犯したある下男が、主人に手打ちにされる。 下男「殺さないでください。もし殺したら、この恨みはきっと返してやります」 主人「ならば、恨みを見せてみよ。首をはねたあと、目の前の石に噛みついてみよ」 …

徳島より帰還

Z現象研究会に2泊3日で参加した。メカニズムの演題が多かったが、予防についての演題もかなり多かった。たとえば沖縄の薬草、キャノーラ油、ブドウの皮、グレープフルーツなどの成分を動物に与えると、Z現象が予防される。ただし非現実的な量を与えなけ…

自分は向上するか

この人生に、実際、お念仏はどう利いてくるのだろうか。そんな若い念仏者のつぶやきに、椎尾弁匡師の教えは、とてもエネルギッシュに答えてくれそうだった。しかし戦前・戦中の師の軌跡を見ると、それは自分に注意をうながしているようにも感じられた。確か…

「近代日本の仏教家と戦争―共生の倫理との矛盾」栄沢幸二

椎尾弁匡(1876-1971)は大正・昭和期の浄土宗の僧であり仏教学者。 一切のものは「縁」によってできあがってゆくのであり、共生している。たとえば、この私は、先祖・両親・社会・国家などのお陰の力によって現れてきたものである。それどころか自分は、親…

出張より帰還(2)

ただ、ホテルに帰ると独りで、家族がいないのには拍子抜けする。楽には楽である。一週間の独身生活は確かに仕事に集中できて、重荷がない。しかし家に電話した時のあの安心感、帰国して家族の顔を見たときの自己をとりもどした喜びは何であろうか。そしてlot…

出張より帰還(1)

おととい、パリより帰った。しごとではもちろん英語のみなので気疲れしたが、終わるころにはだいぶ頭が英語モードに戻ってきて、夢でも英語をしゃべろうとするほどに。ヨーロッパは初めてだが、パリの街は人もモノも小さく、アメリカよりも日本に近い気がし…

今日から出張

今日から出張でパリ。一週間家族に会えないと思うと心細い。いつも知らないうちに家族に支えられて生きている。ほんとうにみんなありがとう。行ってきます。無事に帰ってくるからね。楽しくすごしてください。

再び念仏の現世利益

お念仏が、死後の行き先の解決ばかりでなく、この世の生き方にも影響をおよぼすのでなかったら、自分は人にお念仏をおすすめできない。そう思って、お念仏の可能性を実感しようとしてきた。 つきあたった壁は、しごとをしているとお念仏を忘れてしまうこと。…

念仏の現世利益

念仏の実験は、お念仏によって自分がどう変わるかの実体験。迷いばかりで確信なく、人やまわりを苦しめてばかりの自分が、お念仏してもそのまま変わらないのか、お念仏に利益あって少しでも変わることができるのか。 いかにしても克服しがたいこの自己の愚か…

物理学と生物学

今日は同じ研究所の物理工学系の人にY器官とは何ぞやを知ってもらうため、彼らの前で解剖をしました。物理系の人は生ものや血を見るのが大嫌い。そういう自分も、初めは物理学者にあこがれていたので、生物に興味を持って転進したばかりのときは、解剖する…

「家族関係を考える」河合隼雄

家族の問題、理想的なあり方などを考えていたが、マッチする本がなかなかない。本書は表題からして僕の求めていたテーマを扱っていた。キーワードは「父性原理」と「母性原理」。社会を支える人間を教育しようというきびしい父親的原理と、無条件にその人の…

先を越される

一緒にブログをはじめた妻が、30日分を書き終えてはてな市民に。一ヶ月ストップしたいた僕も久しぶりに書いてみる。