「家族関係を考える」河合隼雄

家族の問題、理想的なあり方などを考えていたが、マッチする本がなかなかない。本書は表題からして僕の求めていたテーマを扱っていた。キーワードは「父性原理」と「母性原理」。社会を支える人間を教育しようというきびしい父親的原理と、無条件にその人のすべてを許し認めるやさしい母親的原理が、人間社会には共存する。父性原理はキリスト教を背景にもつ欧米社会では強くはたらくが、日本ではお互いを認めて仲良くやっていこうとする母性原理が強い。昔の日本の強い父親も、実はみんな仲良くやっていこうというムラ社会のまとめ役であり、母性原理の施行者であった。


【親と子】赤ん坊は親を選んで生まれては来ない。気づかぬうちから母親(あるいはその役割をつとめる人)と一体の世界にある。しかし母親も生身の人間である。子は成長してその一体感の“ほころび”に気づき、「本当のお母さん」(=絶対の愛をもって包み込んでくれる存在)を探す旅が始まる。心の中の母なるものの元型を、生身の母親に投影するのを終えることは、人間としての自立であるとともに、母なるものを求める宗教的な探索の動機にもなる。


【夫婦】夫婦には驚くほど違ったタイプの人間が多い。それはお互いが自分に無いものを求め合った結果でもある。自分に欠けるものの追求は、相手を激しく求める感情を生むとともに、家族という小さな社会を発展させる原動力にもなる。しかし相手との違いは、家族を破壊に導くこともある。古い日本は、嫁の持つこの力を封じ込めるため、女に忍従を強いた。しかし新しい日本では、この力の制御法をまだ誰も知らない。


【父と息子】人は社会に組み込まれて生きなければならない。社会への適合を強いるのが父性原理である。子どもは、はじめ母親との一体感の中にあるが、やがて未来の社会の一員として期待されることになる。つまり父性原理が母性原理の中に割って入る。子は父性原理を父親(あるいはその役割をつとめる人)の中に見る。しかし父親も生身の人間であり、子は生身の父にそれを投影するのをやめ、外界にそれを求めなければならない。何がそれを担うのか、全世界でいま模索がなされている。


【母と娘】息子は母から独立し、母とは異なる存在となる。しかし娘は自ら母性を発揮し、母となる。母−娘の連綿たるつながりの中で、男はうつろいやすく生き死にする寄生者にすぎない。この結合は強大で、そこにネガティブな要素は少ない。影の面は嫁−姑に現れる。それは嫁・姑という二つの母性が、婿というひとつの対象を奪い合う心理戦なのだ。母性の発生源を自分でなくす(=自分以外の大いなる母性を見出す)、あるいは母性の対象を無限に拡大する(=全人類を愛する)ことが課題となる。これは本質的に宗教的な課題である。


家族はすべての人が必要とする、人間関係の基本であろう。だから多くの人間関係は、家族関係を模し、あるいは家族関係から発展したものとなっている。人間関係は動的であり、そこにはさまざまな困難や課題がおとずれる。しかしそれを克服することは、人間関係の改善のみならず、宗教的な道に人を導くよいきっかけともなっているのである。

家族関係を考える (講談社現代新書)