交通事故

先々週のことですが、通勤中に交通事故にあいました。歩道を歩いていたところ、不注意運転の自動車が進入し、後方から衝突されたのです。意識はずっとありましたが、重傷を負って、しばらく入院していました。まだ完治はしていませんが、ブログを書けるくらいには回復しました。
今からすれば回復したとは言え、事故直後は、頭を強く打ったことから、脳出血脳挫傷で死亡するかも、ということも想像しました。心の中で念仏しました。死んでしまうとすれば、妻や小さな子どもたちを置いていかないといけない。その思いの一方で、僕には阿弥陀様が待っている、僕のいない後にも阿弥陀様が家族を照らしてくれるという思いがありました。その感じは、いままでも持ったことのある感じでした。阿弥陀様がありがたいというあの感覚が、こういうときでも同じようにおこるものなのでした。
幸いに身体はそれ以上悪くならず回復しましたが、妻にそのことを話すと、パパが幸せでも死んでしまっては困ると一蹴されました。
近代以降の浄土宗が模索してきている問題、厭世主義・未来主義の問題と現世化・社会化への努力は、結局、こんな感じで、個人個人の問題としても現れるわけです。