どう生きる(2)「二河白道」からのヒント

大慈悲の阿弥陀様の在ることをみずから納得すれば、その大慈悲にやすらぎを感じざるをえず、その与えて下さろうとするものを期待せざるを得ない。これが清浄願往生心である。白き道にたとえられる。
人は愛欲におぼれやすい生き物であり、激情に焦がされやすい生き物でもある。それによって自ら首をしめ、苦しむ。貪欲・瞋恚の煩悩である。水の河・火の河にたとえられる。
もし阿弥陀様を知らなかったならば、歩むべき白道はなく、愛欲の波に翻弄され、激情の炎に焼かれるよりほかない。阿弥陀様を知り白道に歩を進めたからには、愛欲や激情の渦に巻き込まれることはない。
阿弥陀様の護念ゆえである。僕がきちんと浄土に到達できるように、阿弥陀様が護念していて下さるのだ。だからお念仏しながら、凡夫のやり方で家族を愛し、仕事に励む。それで道を踏み外すことはない。