2010-01-01から1年間の記事一覧

16-4念仏への確信

この『選択集』の第十六章では、念仏でなければならないという念仏の必然性を振り返り、また我々が念仏を選ぶにいたる過程を振り返った。念仏が必然であると聞いてから、実際に念仏を選ぼうとするまでの間には、「念仏が必然であることを信じる」という大切…

16-3我々が念仏を選ぶにいたる過程

生という苦しみから脱出する方法として、念仏は、あらかじめ選び抜かれた必然の結論なのであった(「念仏の必然性」)。しかし、苦からの脱出を求める多くの人にとって、それは初めから自明ではない。まず、生に苦しみを感じて、そこから脱出したいと願い(…

16-2念仏の必然性

この『選択集』は、阿弥陀仏、釈迦仏、諸仏が念仏だけを選択していることを顕そうという書物である。まず阿弥陀仏の選択。生きることは矛盾に満ちており、人生に悩みは尽きない。そこに、一個の人間の生を超えた立場から、より大きな世界を与えてくれるのが…

16-1背教の本性

『阿弥陀経』では、お念仏についてのお釈迦様の説法が終わると、舎利弗以下の数々の聴衆は、教えを聞き終えて喜び、去っていく。これについて善導大師の『法事讃』では、 世尊(=釈尊)は、説法の時間がまさに終わろうとするにあたって、丁寧に阿弥陀仏の名…

15-4念仏による幸福の実現

阿弥陀仏を初めとする諸仏・諸菩薩・諸天の「護念」について、信仰の強化という観点から意義を考えてきたが、別の角度からも考えてみたい。善導大師の『観念法門』には (念仏する人を諸仏が護念すると説いてあることから『阿弥陀経』のことを『護念経』とも…

15-3幸福への欲求による信仰の強化

諸仏による護念(=普遍性による信仰の強化)と阿弥陀仏および諸菩薩による護念(=阿弥陀仏の再認による信仰の強化)について述べたが、『選択集』は 常に一切の諸天および四天大王、龍神八部が、(念仏する人に)付き随って影のように護り、(念仏する人を…

15-2阿弥陀仏の再認による信仰の強化

阿弥陀仏による救いということは、たとえ自己の周辺の特殊な経験であっても、信仰者自身にとっては構わない。しかし、これが普遍性を持つ救いであるとされることで、信仰はさらに強化される。「諸仏による護念」をそのように解した。ところで、 ただ六方の如…

15-1普遍性ということによる信仰の強化

阿弥陀仏による救いを実際に感じ取った他者がいて、その特定の他者を知ることをきっかけとして、私達は阿弥陀仏による救いを信じることができたのである。このように私自身の経験は特殊的であるけれども、阿弥陀仏による救いというその内容じたいは、道を求…