2009-01-01から1年間の記事一覧

14救いの普遍性

この自分が阿弥陀仏による救いを信じることができるのは、阿弥陀仏による救いをすでに受けている他者(法然上人、善導大師、お釈迦様など、あるいは身近な念仏者)を通じて、その救いが実際にあることを確認できるからであろうと述べた(「阿弥陀仏を自ら見…

13生の終着地に待つもの

『阿弥陀経』の中で、お釈迦様が、聞き手の舎利弗(しゃりほつ)に対し、 少なき善根・福徳の因縁によって、かの(=阿弥陀仏の)国に生まれることはできない。 舎利弗よ。もし、善良なる(=仏の教えを疑わぬ)男子や女人が、誰かが阿弥陀仏のことを説くの…

12浄土往生のための行為、再論

阿弥陀仏の浄土に生まれ変わって、生きる苦しみを解決したい。そのために自分は今、何をすれば良いのだろうか。これは初めの方でも発した問いであった(以前の記事参照)。 『観無量寿経』では、お釈迦様が、質問者に向かって、さまざまな精神統一法や徳行を…

11念仏する人に起こること

『観無量寿経』にいう。 念仏する人は、 人々の中でも白蓮華(のように美しき人)である。 観世音菩薩と大勢至菩薩が、その人の勝れた友となる。 ゆくゆくは道場に坐す(=悟りを得る)であろう、また諸仏の家(=阿弥陀仏の浄土)に生まれるであろう。 阿弥…

10死に際の入信

阿弥陀仏がこの自分を救おうと誓い、その誓いを実現している。言い換えれば、たった一回「南無阿弥陀仏」と声に出すことによって、自分の死の際に阿弥陀仏が必ず来臨し、自分を浄土に連れて行く。これを直観した人は、「死」を越えてなお存在する自分、しか…

9念仏生活の実践上の注意

称名念仏に統一された生活を継続していくために、具体的な4つの注意点(四修=ししゅ)がある。 恭敬修(くぎょうしゅ):阿弥陀仏に関係するすべてのものに対して、うやうやしさの態度を持つことである。これは、高慢・尊大をいましめるものである。念仏を…

8-8回向発願心:生活の統一(2)

往相(おうそう)とは往生する相、浄土にむかう過程ということである。過去の自己の行為を振り返りながら、あるいは生活の中の日常的な行為をおこないながら、それらの行為の力をすべて投入して、自分が浄土に生まれ変わろうと願う。これは、浄土に往生する…