ふたりの阿弥陀様?

お念仏することで自分に変化がおこるか、が僕のテーマである。変化がおこるというヒントはたくさんある。それは、阿弥陀様の光明による煩悩の消滅であり、換言すれば滅罪増上縁・護念増上縁による現世利益だ。このように、お念仏する人には、心が浄化されるという利益があるという。
ところが、このような「浄化する阿弥陀様」をお念じし、「浄化してください」と願って称名することは、僕にとって正しいのだろうか?
僕は「決定して往生させてくださる阿弥陀様」をまず体験し、その阿弥陀様をお念じ申してきたのだ。「浄化する阿弥陀様」に安易に鞍替えしてよいはずがない。伝統教学においても、お念仏するときの心の置き方は、至誠心・深心・回向発願心の三心などと言われるが、要するに往生を願うことに尽きる。端的には「詮ずるところ往生を願うより外に異事をば願うまじきなり」(浄土宗略抄)との御法語もある。
「浄化してください」とお念じして称名するのでなく、「往生させてください」とお念じして称名する。それによって、求めずして、心の浄化にあずかるのだろう。