15-4念仏による幸福の実現

阿弥陀仏を初めとする諸仏・諸菩薩・諸天の「護念」について、信仰の強化という観点から意義を考えてきたが、別の角度からも考えてみたい。善導大師の『観念法門』には

(念仏する人を諸仏が護念すると説いてあることから『阿弥陀経』のことを『護念経』ともいうが、その)『護念経』という意味は、また、(念仏する人に)諸々の悪鬼神を寄せ付けず、急病・急死など横様の厄難が起こらず、一切の災難や障害が自然に消散する(という意味もある)。(ただし)信心の至らない(場合)を除く。

のようにある。法然上人も別のところ(「浄土宗略抄」)で、「念仏する人は、阿弥陀仏はじめ諸仏・諸菩薩・諸神に護念されるので、他の神仏に祈る必要がない。どんな神仏もこの人を悩ませることはなく、宿業(=前世までの業)の報いで重く受けるべき病も軽く受ける。往生ほどのことを実現するのだから、この世の命を延ばし、病(の軽快)を助ける力もある」(取意)と説いている。

前述したように、念仏の動機となった問題意識には、老・病・死などの個別・具体的な不幸に関する苦悩ばかりでなく、それらを含んだ「生きること」全般への問題意識があったはずだ。それを出発点として、阿弥陀仏の本願という普遍的なる救いがあることを知り、「生きること」を新たな視点で見直すようになれば、個別・具体的な苦悩も深刻に受け止めることがなくなり、より気軽に対処できるようになる。これは、一種の幸福の実現であり、念仏の現世利益である。深い信心をもって念仏すれば、そのような結果もあるということを、これらの言説は意味しているのではないだろうか。