11念仏する人に起こること

 『観無量寿経』にいう。

念仏する人は、

  • 人々の中でも白蓮華(のように美しき人)である。
  • 観世音菩薩と大勢至菩薩が、その人の勝れた友となる。
  • ゆくゆくは道場に坐す(=悟りを得る)であろう、また諸仏の家(=阿弥陀仏の浄土)に生まれるであろう。

阿弥陀仏は、私たちに死後の浄土往生を与えるために「南無阿弥陀仏ととなえよ」と語りかけている。お釈迦様や善導大師などの先人の足跡を見て、我が苦悩の解決がそこにあると直感し、「南無阿弥陀仏」と念仏を実践して答えるならば、どのような結果が待っているのだろうか。
白蓮華のように美しき人」とは、お釈迦様がじきじきに念仏するあなたを褒め称えた言葉である。また善導大師は『観経疏』で、これについて、

よく続けて念仏する者ははなはだ希有(=まれ)であって、これに比すべきものがまったくない。それゆえに白蓮華をひいてたとえとしていることを(この言葉は)明示している。(中略)念仏する者は、人々の中でも美しき人、人々の中でも霊妙にして美しき人、人々の中でも上等のうえにも上等の人、人々の中でも希有なる人、人々の中でも最も勝れた人である、ということである。

のように、さらに褒め称えている。念仏することが、お釈迦様の意にも善導大師の意にもかなっているからである。
観音菩薩勢至菩薩は、阿弥陀仏の左右に侍る菩薩であるが、阿弥陀仏の慈悲と智慧を形にして衆生に届ける伝え手である。阿弥陀仏の救済の意志を私に伝えた働きが、この二菩薩の働きなのであるから、当然、常にお念仏していれば、私はいつもこの二菩薩と共にある。二菩薩が、私に常に念仏するよう働きかけつづけるから、私はお念仏することを忘れないように護られ続ける。
お釈迦様や善導大師の意にかない、二菩薩の護念を受けることが、この世で肉体のあるうちに見ることのできる結果である。
また、肉体の尽きたのちには、阿弥陀仏の用意した浄土に生まれて導きを受け、それに従って、いずれ自らも悟りを得る。これは、まだ見ることができないが、我が苦悩が完全に解決され、そもそもの目的を達するという結果である。