9念仏生活の実践上の注意

称名念仏に統一された生活を継続していくために、具体的な4つの注意点(四修=ししゅ)がある。

  • 恭敬修(くぎょうしゅ):阿弥陀仏に関係するすべてのものに対して、うやうやしさの態度を持つことである。これは、高慢・尊大をいましめるものである。念仏を日々行っているうちに、私たちの心には、自然に高慢・尊大の態度が湧き、これによって念仏生活がさまたげられる。
  • 無余修(むよしゅ):人生の苦しみに対処するための行為として、阿弥陀仏に関係しない一切の行為をいましめるものである。私たちのまわりには、阿弥陀仏以外の形での宗教宗派・主義信条があふれている。理由あって捨てたはずのそれらを、誤って再び拾い上げることで、念仏生活がさまたげられる。
  • 無間修(むけんじゅ):阿弥陀仏に関係する行為を、常に持続させることである。これは、怠けをいましめるものである。私たちは、日常のことや本能的欲求に心をとらわれ、また他の宗教宗派のことや無用の哲学などに夢中になって、念仏生活がさまたげられる。それに気づいたら、反省して、念仏に戻るべきである。

これら、「高慢」「他の信条」「怠け」は、念仏生活を挫折させうる三大原因である。「恭敬修」「無余修」「無間修」は、これらの三大原因に用心し、念仏生活を続けていくための注意点である(「怠け」は特に手ごわいので、「無間修」は最も大切である)。ということは、これら三つは、一生涯続けていくべきものである。その点を、長時修という。

  • 長時修(じょうじしゅ):念仏生活を、一生の終わりまでやめないことである。これは、退転・挫折をいましめるものである。念仏生活は、高慢と、他の信条に影響されることと、怠けによって、挫折しやすいのである。

これら四修という注意点を守ることで、無事に念仏生活をまっとうし、目的(=浄土への往生)を達成すべきである。
法然上人は別のところで、さらに具体的な念仏のやり方として、一日に繰り返す称名の数の目標(=日課)を決めておく、というやり方を強く勧めている。念仏の数そのものが重要なのではない。ただ、怠けによる挫折を防ぐために、日課を定めるのである(以前の記事参照)。