2-1 何を行うべきか

浄土門という目的を定めた。つまりこの世で仏になるのではなく、仏がご用意くださった浄土にまず生まれ変わって、そこで仏になるのをめざすことに決めた。しかし、そのためにはどうすれば良いのだろうか? 何かを行わなければ、浄土に生まれ変わるという目的は実現できない。どのような行為によって浄土に生まれ変われるのか。
まずは、どんな行為でもよい、という。何をしても浄土に生まれ変わることに結びつくのだ。法然上人は、善導大師の『観経疏』(かんぎょうしょ)を引用して、あらゆる行為を分類し、正行(しょうぎょう)と雑行(ぞうぎょう)に分ける。雑行を実践しても、回向を行うことにより浄土に往生するタネとすることができる。とは言っても、浄土やそれをご用意くださった仏に関係のない行為には、浄土往生を目的とする者にとって、多くの限界がある。わざわざそのような遠回りの行為を選ぶ必要はないだろう。やはり浄土やそれをご用意くださった仏に関係する行為を実践するのが良い。それが正行だ。ごく当たり前の論理である。
初めにあらゆる仏教経典を、その目的から聖道門の経典および浄土門の経典に分けた。今はあらゆる行為(修行)の体系を、浄土往生という目的との整合性から正行と雑行に分けるのである。
善導大師の『観経疏』によると正行とは次のようである。つまり経典を学ぶなら浄土やそれをご用意くださった仏について書かれたものを読む。心を凝らして観想を行うなら浄土やその仏の姿を観想する。礼することを行とするならば浄土をご用意くださった仏を礼する。何かを声に出して修行とするならばその仏の名をとなえる。何かをほめたたえて供物を献上するならば、その仏やその浄土を讃嘆し供養する。これを正行という。何につけても浄土やその仏について行うこと、と読めるが、法然上人はこれらを「経を読む」「観想する」「礼する」「となえる」「讃嘆・供養する」の五つに代表させ、五種正行と呼んだ。
しかし実際に浄土門の本質的な行為は「となえる」であって、その他はこれを助けるための行為である、という。その理由は後述される。