1-2 宗教の選択

自分が、ほかの宗教ではなく、お念仏の道を選んで歩んでいるきっかけは、お念仏のお寺の子に生まれたからである。ほかの宗教を選ぼうと本気で考えたことはない。ただ、元は無宗教であったため、宗教というものを自分の人生に取り入れるかどうか、どう取り入れるかは、一応いろいろと悩んだ。
そのきっかけ、その立場から、宗教にはシンパならざるを得ず、宗教の実践を拒否できなかった。しかし科学者をめざす理系人間であったから、論理の飛躍を嫌い、確実なものごとをもとに次を考える合理性は捨てられなかった。この教えを信じなければならないという結論は初めから決まっており、どうしても合理的に受け入れられない数点の問題を抱えていた。その後のいくつかの体験で問題の整理はかなり進んだが、驚くべきことに、よく考えればこの姿勢には今も基本的な変わりがないのである。
現代日本には平安末期よりは多くの宗教に触れる機会があるはずだ。だが平安末期よりは宗教が力を失っており、その道に入る機会は少ないかもしれない。法然上人は平安末期に比叡山に預けられたことをきっかけとし、元来の聡明さで当時の仏教を広く学んだうえで、その限界を感じて浄土宗を旗揚げされた。当時の多くの仏教経典を2分し、この世界の中で悟ることをめざす聖道門と、この世界の外にある浄土に生まれ変わってから悟ることをめざす浄土門に分けた。どちらを選んでもよい。いずれの道も同じ到達点にたどりつく。しかし時代情勢と自身の限界を反省すると、聖道門を捨てて浄土門に入らざるを得ない、と選択集は説く。

この道綽禅師『安楽集』の中に、聖道門・浄土門の二門を立てたのは、人に聖道門を捨てさせて、浄土門に入らせるためだ。これには二つの理由がある。一つにはお釈迦様の世から遥かに時が隔たったこと。二つには教えの理は深くわれらの理解はわずかであることだ。

これを自分の有り様と比較すると、その大きな違いに愕然とならざるを得ない。仏教に出逢ったのは偶然、それは誰でも同じだ。しかし自分は現代のいろいろな宗教を幅広く学んだ上で、その実践上の壁に当たって、聖道門を捨てて浄土門に入ったのだろうか? 断じて違う。自分はこの教えを信じざるを得ない立場に置かれただけであって、能動的に教えを選択したのではない。果たしてそれで良いのだろうか?
いや、聖道門と浄土門という分け方は、最初から自明のものではない。聖道門・浄土門と分けた時点で、すでに浄土門を選ぶ準備は整っているのだ。その分け方に辿り着くことこそ、初めにやらなければならないことだ。
相矛盾する無数の仏教経典の中で翻弄された挙句、法然上人は『安楽集』のその分け方に漂着した。今、自分はその放浪の過程を経ることなく、法然上人の辿り着いた聖道門・浄土門に分ける立場を、ただ享受している。これが現状である。この立場が自らつかんだものでないことに疑念を持って、放浪から確かめ直すのも良し。これをいったん受け入れて、その浄土門の中身の如何を確認するも良し。これは個人の自由である。しかし、必ずしも放浪からやり直さずとも、浄土門の中身を実践することは可能である。また、聖道門・浄土門と分けずしてお念仏は見出し得ないが、放浪を一からやり直して再度お念仏(あるいはお念仏ではない何か)に辿り着くには、また膨大な時間がかかる。第一、自分にそれができる自信はない。
これをもって、自分は聖道門・浄土門の分化以前の混沌とした放浪をしばらくさしおいて、法然上人のお勧めにしたがい、浄土門を選ぶのである。これには、寺の子に生まれたという「ご縁」が大きく関与している。誰しも「ご縁」によって浄土門を選ぶのである、と言いたい。