念仏の現世利益

実体化用論の唯一の根拠はおそらく偽撰だろう。それでも、お念仏によって自分の人生がどう変わるか、という念仏の現世利益を考えていくと、実体化用論に似通った思想に漂着しがちである。その意味で、この実体化用論について考えることは大切だと思うのである。
この論を自分なりに解釈すれば、阿弥陀様を信じてお念仏にはげんでいるうちに、知らず知らず聖道門と同じ悟りへの道を歩んでいる、ということである。お念仏における「往生」はこの肉体が失くなるときにしかいただけず、現世利益は仏の護念のような形でしか説かれない。しかしこの論のように信じるならば、表立っては説かれない現世利益が厳然としてあることになる。
このように信じることは、法然上人の門下でも多かれ少なかれ説かれていると思うし、光明主義などもこの線にある。善導大師・法然上人はそのように説かれなかったと自分は思うが、それがなぜなのかを考えることが大切ではないか。