すべてを平等に愛するには…

僕は結婚してわりとすぐ子どもができた。その妻の妊娠中のこと。
嬉しさとともに不安があった。今はこの女性ひとりを愛していればよい。しかし、同じように愛すべき子どもが生まれる。自分は、妻と子のふたりを愛せるのだろうか、と。
僕の不安をよそに、子どもは生まれ、慌しく時がすぎた。いまや家族は四人。愛すべき対象としての妻と子どもたちは、ばらばらではなく、一体となっていた。妻と子をばらばらに愛するのは難しい。いや、愛する相手はひとりひとりなのだけれど、そこに一体感があるから、矛盾なくみんなを愛することができる。
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交通事故で死を意識した話を書いたが(id:livesutra:20061024, id:livesutra:20061025)、なかなか理解してもらえない。死が目の前に現れる体験を人に伝えるのは難しい。当然のことかもしれない。それはともかく、死を前にやはり家族のことは気になったが、仕事のことは頭の片隅にも浮かばなかった。
そのことについては、そうだろうそうだろうと、よく共感される。仕事に代役はいても、パパに代役はいないよ、と。
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それでも、思う。家庭と仕事がばらばらだから、その間で身を裂かれる思いをしたり、仕事と家庭の両立なんぞに悩んだりするのかもしれない。
想像してほしい。職場のひとりひとりが互いの家庭を最高に大切にあつかっていたら…。またそれぞれの家庭で、家族の仕事の意味を知り、尊重する空気が醸成されていたら…。家庭と職場に一体感があったら…。そうしたら、そこにかかわる誰もが、仕事に思い切り打ち込み、かつ、家庭にも存分にエネルギーを割けるのに。
現実を見よ。なかなかそうはいかない。それが凡夫の織りなす悪世である。それに絶望して、浄土を求め、お念仏するのも必要である。だが果たして、それ以上のものがなくて十分なのだろうか。