悟りから慈悲へ

お釈迦さまは悟りを開いたのち、その楽しみを数日間味わいつづけ、これを人に教えるのは無理だと思って、いったんはそのまま終わろうとしました。しかし梵天という神様がたのんだので態度をあらため、数十年の伝道生活に入ったといいます。
お釈迦さまの弟子に、教えを守って悟りをめざす人々もありました。しかし人々から遠ざかる態度が批判され、大衆救済をめざす大乗仏教が生まれました。これも梵天のたのみを受け入れたお釈迦さまと同じ転換です。お釈迦さまが人々を救うためにおこした慈悲を大切に思い、自らも同じ態度をめざしたのです。
しかし凡人がお釈迦さまのような慈悲をおこすのは難しいことも事実です。そこで、自ら慈悲をおこすのではなく、慈悲にすがろうという態度が生まれました。浄土教です。もともとお釈迦さまから自分に向けられた慈悲に感動して生まれた大乗仏教ですから、この態度もけっして目新しいものではありません。慈悲を味わううちに、自らも慈悲を行おうという態度が養われてくるのです。